ディシプリン・スキル・センス

7年ほど前に母校の会報に寄稿した文章

東京で大学教員になり六年が経った。昨年、敦賀出身の同僚から「藤島出身の女の子が入ってきたよ」と聞かされ、おやと思ったものだ。私の所属する工学系の学科は元々女性が少なく、その中で福井出身、さらに藤島出身という子は珍しい。接してみれば、大変質実優れた学生で、根拠のない淡い期待は報われた。彼女の有意義な学生生活を願いつつ、改めて大学教育というものを考えた。

 この十年、工学系の教育カリキュラムは大きく変化している。学術の専門性が先鋭化していく中で、社会との関係性に反省が及ぶようになったことが大きな理由だろう。極めてステレオタイプな表現を借りれば、「理系馬鹿」ではいけないというわけだ。一方で、専攻や学科という組織の継続性も依然制約として存在し、教育環境はやや混沌としている。経済不況がもたらした競争的状況も大学教育の在り方に厳しい変化を要請する中、「教育は国家百年の計」の金言が霞む。最高学府で教育に携わる幸運を得た者として、時代の徒花で終わらない普遍的な価値を伝えたいとつくづく願う。寄稿の機会を借りて、若い学生に望む三つの必須能力を挙げる。一つにディシプリン、一つにスキル、一つにセンスである。

ディシプリンとは、未知の問題に対処する姿勢であり、探求力の背骨になる行動規範である。それは何かにひた向きに打ち込むことによって獲得できる性質のものであり、対象は例えばスポーツでもよいし、芸術でもよい。もちろん学術でもよい。ある程度の専門性を持ち、下手から始めて、試行錯誤を経てそれなりの上手に達し、成功体験があれば尚よい。その過程が以後の人生のかけがえのない物差しになり、また心を立てる縁(よすが)になる。経験的に、三年集中して打ち込めば、その後は一人で学べるようになる。十年打ち込めば、一流を立てることができる。

スキルとは、問題に対処する際の具体的な技術である。例えば絵を描く技術であり、微分方程式を解く技術であり、肉体や心を良好な状態に保つ技術である。スキルは戦いにおける武器であり、手段に過ぎない。しかし、それを持つことで戦いが圧倒的に有利になることを自覚すべきだ。スキルはディシプリンを獲得する過程で自然に身に付くものでもあるが、専門性を超えて多様なスキルを持つことは、日常を豊かにする。自身が進むべき方向に選択肢を示す場合もある。

センスとは、正しい問題に取り組むための気付きの能力である。真に価値のある問題は目に見えず、日常の背景の中に隠れている場合が多い。食もエネルギーも安全も、我々は多くを他者に依存して生きている。その事実に無頓着な人間は間抜けだ。制度や伝統の背後にある物語に想像力が及ばない者は、それらの支配から逃れることはできない。つまり、センスとは物事の前提条件に気付く感受性であり洞察力である。しかし、センスを獲得するのは難しい。必要なのは、おそらく深い内省と至誠を尽くした先にある祈りの精神だろう。

三つ挙げたものの、大学教育はどのような役割を果たせるだろうか。試行錯誤の日々であるが、感受性豊かな学生の存在が大きな励みになっている。